ハウスメーカー営業マン15年目のぽりんきです。
今回は、15年前の自分。
つまり新卒のときの思い出話をしようと思います。
住宅の営業と言うと、いろんな人から
「とてつもなく大変そう」
「ノルマとかキツイんじゃないの?」
「難しそう」
ということを言われてきました。
これを読んでいる人も大変そうなイメージがあると思います。
15年前と今ではハウスメーカーの営業のやることが違います。
【あくまでも、昔は大変だったんだよ】ということを知って欲しいので記事を書いています。
思い返せば大変でしたが、この大変な時期を乗り越えたからこそ今の自分があるのだとも思っています。
とにかく、15年前のハウスメーカーの営業マンは今の時代ではブラック企業であることは間違いありません。
反対に、今のハウスメーカーの営業はかなりの数でホワイト企業が増えているようにも思えます。
新卒1年目の環境
私は、某ハウスメーカーに新卒で入社しました。
今は別会社で働いているのですが・・・。
新卒の配属は【東京】でしたが、そもそも建築会社として東京がスタートの会社だったので、お客さんの知名度はかなりあった会社です。
会社名は言えませんが、今も存在するハウスメーカーです。
ちなみに、東京は建蔽率や容積率、高さの制限など法規制が強く建築知識がかなり必要になります。
新卒研修
まずは、研修ですね。
確か、東京にあるビルの会議室を借りて一週間くらいやっていたと思います。
- ビジネスマナー研修
- 見積もり研修
- 坪の計算の仕方
- タイピング
- 業界の座学
当時は全国から東京に100人程集まって授業スタイルで研修をこなしていました。
現役の営業マンや設計の長や本社の課長などすごい人たちが来て、順番に講師をしていくんです。
私のその時は、ただついていくのがやっとで、営業マンの講師は「オーラがすごいなぁ」という印象でした。
爆睡して怒られる
この1週間の研修で、唯一私だけ怒られたのが、この「爆睡」です。
当時はかなり朝が弱く、静かな場所でただいるだけでも睡魔が襲ってくる(病気?)状況でしたので、うとうとしてしまい・・・。
手をつねったり、ミンティアをほおばってなんとかしのいでいたのですが・・・。
「おい!寝るな!!」
と授業中に寝てしまったことで、同期の前で激怒されてしまったのです。
「めちゃくちゃ恥ずかしかったです・・・。」
新卒で、仕事として学びにきているのに、研修中に寝てしまうのは私だけだったようで、かなり恥ずかしかったのを今でも思い出します。
ハウスメーカーによって違うと思いますが、かなりメジャーな大手ハウスメーカーは1ヶ月くらい研修があるのでしょう。
私が入社した会社もかなりの広い地域で営業していましたが、当時は1週間しか研修期間がありませんでした。
それにしても、この新卒研修は、現場ではほとんど役に立たないものだったので、個人的には、座学を長い期間やるよりも早く現場に出た方が良いと思います。
唯一、学びがあったのは坪の計算ですかね。
これが終わればいよいよ、現場配属です。
自分がどこの地域の配属になるかは、研修の最後の方で知るため、慌ててアパート探しする子もいました。
私は幸い【東京支店】に配属でしたので学生時代から住んでいたアパートを引っ越しすることなく、通勤することができました。
しかも、自転車通勤です。
自転車で20分くらいの距離だったので、最高でした。
営業所内のメンバー
ハウスメーカーの営業は営業所に配属されます。
事務所はだいたい、15〜20畳くらいあるモデルハウスの中にある一部屋です。
この配属先にいたメンバーは全部で6人です。
- 32歳営業所長(男性)
- 40代先輩(男性)
- 30歳先輩(男性)
- 26歳先輩(新卒3年目の女性)
- 同期(女性)
- ぽりんき(私)
ハウスメーカーのモデルハウス(営業所)にいる営業マンは少なくて3名、多くて8名くらいです。
私が配属された営業所も6名だったので少なすぎず、多すぎずちょうど良い人数でした。
他社からの寄せ集め
メンバー6人のうち、新卒以外の、残りの3名はみんな転職組でした。
32歳営業所長(男性)
先に言っておくと、この人は私の人生に大きな影響を与えた人です。
当時、【エスバイエル】という会社で全国1位をとった人でした。
30代前半の営業所長は若く、圧倒的なカリスマが無いとなかなかなれません。
そんな人が、ちょうど私が入社する年に、支店長や他の所長と一緒に転職したようでした。
ハウスメーカーの営業は条件が良い会社に転職します。
どこのハウスメーカーでも家を販売する目的は同じなので、売れる人は売れます。
この人はとんでもない『鬼軍曹(おにぐんそう)』でした。
常に罵声は当たり前で、今で言うパワハラのオンパレードでした。
しかも、休みはほとんどなしで、夜中まで働くのが当たり前。
仕事一筋の真面目な人です。
40代先輩(男性)
この人は私が入社した3ヶ月後に辞めます(笑)
営業はほとんどしたことがないおっさんでした。
あとでわかるのですが、夕方に訪問に出かけたと思ったら、自宅に帰って晩ご飯を食べてから、営業所に戻ってくる人です。
まぁ、言ってしまえばまともに仕事できない人ですね。
契約もほとんど取れていなかったので、会社に居ずらくなり、サボりがバレて辞めて行った人です。
30歳先輩(男性)
少し太った男性。
この人も転職組みでしたが、すごい経歴の持ち主でした。
入社2年目くらいでしたが、前職は【リフォーム会社の若い支店長】でした。
リフォーム会社では飛び込み営業でバンバン契約をとっていたようです。
私と一緒に鬼軍曹所長のパワハラをまともに受けていた人ですね。
上手に指示を避けるのもうまかったです。
まずやらされたこと
営業所へ配属の1週間くらいは定時で帰っていましたが、そこからは、ザ・営業の世界。
地獄の日々の始まりでした。
会社の年史丸暗記
まずは、会社の年始を丸暗記させられました。
何年目に会社がどうなったのか?お客様に説明できるようにワードで作られた台本があって、それをひたすらに丸暗記です。
ハウスメーカーの中では、浮き沈みがあった会社だったので、良くも悪くも会社の歴史を知れ!と高圧的に言われましたね。
このあたりから毎日夜中でほとんど休みなく働き続ける日々が続くので、家に帰ってから寝るまでの間にひたすら暗記していました。
この会社の歴史はお客様に説明したこともありますが、面白くないのでお客様を不快にさせてしまうことがよくありましたね。
覚えることは大事だと思いますが、お客様に説明するまで丸暗記させる必要まではないと思います。
アプローチブック作成
営業の世界にお勤めの方はわかると思いますが、アプローチブックを作成しました。
アプローチブックとは、お客様に説明しやすいような紙の資料をクリアポケット付きのファイルに入れて持ち歩けるようにしたもののことです。
鬼軍曹の所長はアプローチブックを持たずに営業できる天才的な人でしたが、「お前はしゃべれないんだから全ての資料をファイリングしろ」と言われてたくさんの紙を印刷して、何冊も持っていました。
特に難しいのが逆さにして、説明することです。
ファイリングしたページをお客様側に向けて説明するので、営業から見ると文字や資料が逆さまになります。
つまり、自分がその資料を読み込んで、さらに、説明のトークの練習ができていないと、とても説明できません。
アプローチブックは常に、説明しながら更新するものですが、15年経った今でも自分のアプローチブックは持っていて、説明用に使っています。
カタログも同じですが、お客様に説明するには、逆さにした資料をいかに読めるようになるかの訓練が必要ですね。
ロープレ
ロールプレイのことです。
営業のトーク練習がロープレです。
社内で先輩や上司に向かって説明します。
内容はいろいろとあって、アンケートのヒアリング、モデルハウス案内(立ち話)着座後の説明、アプローチブックを使った説明などです。
たとえば、モデルハウス案内(立ち話)だったら、先輩にお客様役をやってもらって、モデルハウスに来店してもらうところから、営業マンが「いらっしゃいませ〜」と言いながらスタートしていきます。ある程度の区切りがついたらみんなから感想をもらいます。
これが、めちゃくちゃ緊張します。
私は1年生なので、相手は先輩か上司です。そして、その人から総評をもらうので、やりづらい状況が整っているのです。
営業の世界はアスリートの世界と同じだと言われてきました。
つまり、練習でちゃんとできない人が本番でできるわけがないという考えが強く、先輩を前にやるしかありません。
それはそうなんですが・・・。
このロープレもあまりにも出来が悪いとブチ切れられます。それで、「今日はもう終わり!」ってなればいいんですが、たいていが「もう一回」ってなるので、余計やりづらくなります。
私はこの毎週朝に開催されるロープレの日が大嫌いでした。
もともとしゃべりが下手な私はいつまで経っても合格できない日々が続きました。
このロープレは接客練習からテストに変わるので、合格しなければ接客はさせないと言われてました。
私は一度も合格したことないんですが、先輩や上司も忙しいのでロープレがなくなることも高確率でありました。そこからだんだんとやらなくなっていきました。
テストには合格していませんでしたが、たまに先輩や所長がいないと接客チャンスが回ってきます。
そこで接客したお客様からアポイントが多少は取れていたので、問題ありませんでした。
見積もり依頼
地獄の業務がこの見積もり依頼です。
お客様からのプランの依頼があれば見積もりも提示するのですが、このハウスメーカーにはほとんど見積もり単価が存在しませんでした。
サッシやオプション品はメーカーに見積もりを依頼しないと金額がわかりません。
鬼軍曹の所長はきっちりしている営業だったので、何十円単位までしっかりと金額を出さないと気が済まない人だったのです。
なので、とにかく、メーカーや商社にひたすら見積もり依頼をします。
日曜日に商談が終わったら、図面をFAXして、金曜日までに見積もりをもらうことを繰り返していきます。
これやってみるとわかるのですが、メーカー側が忘れていたりして、金曜日までに間に合わないことがあるんですね。
メーカーは土日休みなので、金曜日までに見積もりが届かないと翌週になってしまいます。
そうすると日曜日の商談にはちゃんとして金額が出せません。
これが、鬼軍曹の所長からすれば私の責任なんです(泣)
金曜日までに依頼したところまではOKなのですが、メーカーが忘れていようが何しようが追いかけていない自分が悪い。
まぁ当たり前なんですが、毎回毎回とんでもない数の商談客の分の見積もりをとり続けるので、何が何だかわからなくなるくらいテンパります。
今のハウスメーカーは見積もりシステムがしっかりしているので、メーカーに見積もり依頼をする必要はほとんどありません。
そもそも、大手ハウスメーカーに就職できれば、見積もりをとってくれる積算チームがしっかりいるのでこんな業務はやらなくてよかったんだとあとで知りました。
仕様プレゼン準備
お客様に間取りや見積もりを作るのが商談の主な目的になりますが、金額の中に何が含まれているのか?をお伝えする資料が仕様プレゼンです。
仕様とは、キッチンや床材などがどんなものになっているのか?を紙に一覧にしたものです。
これを印刷するのに、カラーコピー機がなかったので、家庭用のインクジェットプリンターで順番に印刷していました。
これが、地味に時間がかかりインクが切れたり紙が詰まったりしたので、大変だったことを覚えています。
今では、カラーコピー機が普及して数分で何十枚のプレゼンを印刷できますが、当時は30分〜1時間近く時間がかかっていました。
印刷するだけでよければいいのですが、お客様のためにファイリングする必要があったので、印刷が完了するまで待っているのがすごく時間がかかって大変でした。
当時はパソコンの処理能力も遅かったので、印刷の指示を同時にかけられなかったり、印刷終わるまで作業ができないことがしばしばありました。
そう考えると、本当に時代は進化したとつくづく感じます。
ポスティング
集客活動です。
お客さんがいない初めのうちは夕方17〜21時までひたすらポスティングです。
同期と一緒にチラシを印刷し、戸建てやアパート関係なく、ひたすらにポストに来場プレゼントのチラシを投函していきます。
自転車をこぎながらだったので効率は悪くなかったのですが、最低でも300枚。
多い時は1日で500枚をポスティングしていました。
雨の日も関係なく、毎日行なっていたので、ただチラシをまくだけでも平均で3時間近くかかっていました。
訪問
夏からはこれです。
今ではお客様に嫌われるだけの迷惑訪問になるので、訪問営業はありません。
自宅に行くことはあっても用事があったりアポがある時だけです。
営業所には、過去にモデルハウスに来場した数年前の「家を建てたかどうかわからないアンケートがあります」ここをかたっぱしから訪問していきます。
これも自転車でやっていたので、片道1時間かかるお宅もありました。
不在だと手紙を投函しておいて、電話がけするのですが、とにかく、チャイムを押しても門前払いされることがほとんどで大変な思いしかありません。
今の時代はこの迷惑訪問はほとんどのハウスメーカーで効果がない営業方法だという理解がされているのでいいですね。
15年前は、ガッツセールスが成功していた営業マンもいたので、お客様の家に訪問して、アポをとることを当たり前のように考えている社風がありました。
電話がけ
これは、今でもハウスメーカーの営業がやっています。
もっとも時間的な効率がよく、アポが取れる可能性があるからです。
あと5年もしたら、電話すらしないようになっていくとは思いますが・・・。
これも先ほどの訪問と同じように、数年前にモデルハウスに来場され、アンケートを書いたお客様にひたすら電話がけします。
電話が苦手な私にとってはかなり苦戦しました。
何件電話してもアポは全く取れずガチャぎりされるのが当たり前です。
メンタルがやられていますのですが、鬼軍曹の所長がいるので、間髪入れずにかけつづけなければなりません。
トイレに行く時だけ休憩できるのでよく、トイレ休憩をしていました。
どうしてもモチベーションが上がらない時はガムテープを使って受話器と左手をぐるぐる巻きにしてやっていました。
今でもやりますが、1日にかけても10件くらいです。
モデルハウスで完成現場見学会や設計相談会などのイベントを企画したときに、それをきっかけにアポをとるくらいです。
全く商談すらない営業マンは今でもこの電話がけはひたすらやらせれます。
とは言っても、かければかけるほど工夫して、アポが取れるようになってきます。
苦手意識がある人でも、お客様と電話することは必須のスキルになるので、上達できますね。
ハウスメーカー営業マンのオフは??
営業マンですから、エンドレスなんですが、オフはあるのでしょうか。
15年前のオフを振り返ります。
帰れる時間
このような感じで、17時からひたすら営業活動でしたので、帰れる時間は夜中の2時くらいでした。
会社の中でもブラックの営業所というのは有名でしたが、同期でも22時頃に帰っていました。
とにかく、なかなか契約が取れないこと。やることが無限にあるため、先輩や上司が帰るまでは自分も帰りにくいことが問題のように思えます。
売れば売るほど忙しくなり、帰れなくなるので、売れていない人が売れている人が頑張っている中、先に帰るのはご法度です。
そもそも、新卒の時は先輩の手伝いが仕事だったので、先輩よりも先には帰れませんでした。
休み
これもほとんどありません。
そもそも休むことが前提になっていません。
今月売れないなら給与泥棒。休むのはサボり。
今月売れたら忙しくて休んでいるヒマは無い。
悪循環です。
休みはだいたい月に1〜2日くらいでした(今では考えられません)
この仕事時間や休日に対する考え方は、その営業所の所長の考えによってくるので社風はあるにしても、支店や営業所ごとにかなり差があると思います。
質問あるある
よく友人からもらった質問あるあるです。
営業所の異動
私は何度も経験しました。
これは、人事課で決めるわけではなく支店が各営業所のパワーバランスを見ながら決めています。
ようは、退職者が出たり、営業所によって成績に差が出てくると考え始めます。
所長が変わればパラダイスになることもあります。
私は、鬼軍曹から2ヶ月程度離れることができたので、そのときは別会社のように帰宅時間も早くなり、休日も取れました。
先輩とのコミュニケーション
このパラダイス営業所ではよく麻雀や飲み会に連れていかれました。
お金は先輩持ちだったので、新卒の私がだすことはほとんどありませんでした。(割り勘の先輩もいました)
飲み代は先輩が出すというルールは歩合が入る営業職だからというのもあると思います。
歩合
着工時1%、完成時1%という仕組みでした。
つまり、2000万円の家を契約できれば40万円もらえました。
基本給が20万円程度だったので、かなりの金額でした。
この40万円は無条件にもらえるわけではなく、値引率に影響しました。
値引きをすればするほどもらえる歩合が減ります。
社内で決められているMAXの値引きを行なってしまうと、4万円まで減ってしまいます。
契約を取るためには、値引きした方が契約しやすくなります。
しかし、歩合をもらうためには値引きしたくないというジレンマがあります。
・・・私は新卒だったので、値引き額は所長が決めていました。
初契約
入社してから半年後の9月です。
たまたま、先輩がアポで出払っていたときに接客したお客様でした。
アポは取得しましたが、商談は全て所長に同席してもらって契約しました。
いきなり、一人でやるのは難しいので、所長がいたからこそですが。
初契約の日は努力が実を結んだ日だったので感動して涙しました。
事件
私は私なりのいろいろな事件あったので紹介していきます。
解体段取り事件
私の15年間のハウスメーカー営業人生の中で、一番の失敗がこれです。
同時期に2件の解体工事があり、私が段取りしていました。
所長から「明日から始まる2件の解体工事。解体屋さんによろしくお願いしますって電話で挨拶しておけ。」と言われ、電話してみると。
解体屋さん「え?1件しか予約もらっていませんよ?」と言われてしまいました。
・・・これを所長に相談すると。
矩尺(金属製のものさし)を投げられ、胸ぐらを掴まれ、大変な思いをしました。
工程を確認し、少しずらす形で2件の工事をなんとかお願いしたのですが、イマイチ先がわからないまま段取りすることだけが精一杯だったのでこういう結果になってしまいました。
この頃が新卒1年目の12月くらいでしたから、疲労も蓄積していて体力的に限界の時期でした。
今、何をやっているのか?をしっかり教えてくれる営業所だったらよかったのにと思ってしまいますね。
商談中・助手席で寝る
これはしょっちゅうです。
誰よりも早く営業所に行って、遅く帰っていましたからいろんなところで寝まくっていました。
打ち合わせ中にお客様の前で寝たり、所長の車の助手席で寝たり、訪問中の電車で寝たり、とにかく、疲労困憊でした。
睡眠をしっかりとらないと頭も休まらないので、ミスも増えて何も良いことがありません。
朝は8時に営業所に出社して、夜中の2時に帰っていましたから、18時間近く会社にいました。
恐ろしいですね。
今は業務がシステム化されているので、こんなに働くことはあり得ません。
お金のはなし
ハウスメーカー新卒のお金事情についてです。
手取り給料
総支給額が22万円でした。
私は20歳で就職したので、大卒の同期よりも2万円少なかったです。
22万円だと手取りは19万円くらいしかなく、家賃も支払っていたので、余裕は全くなかったですね。
車は持っていなかったので、ローンや駐車場代はありませんでしたが、それでも仕事の時間に対して、もらっている給料が少なすぎました。
同じ営業所の30歳(男性)の先輩も時給の計算をしていて、「おれ時給300円台」と言ってた記憶があります。
勤怠管理も残業にならないようにやっており、残業代という言葉すら存在しませんでした。
本当にブラック業界でしたね。
経費について
私のお金を奪った決定的なものがこの経費です。
会社の経費を精算するシステムはあったのですが、経費精算の申請をしている時間がなく、自腹をきりまくっていました。
特に、訪問時の電車代や営業所の印刷用紙やインクがなくなったときの突発的に発生する経費は買い出しに行くのが私だったので、「経費精算していい」と言われても、やっている作業時間がなく、結果的に自己負担でした。
今になって思うこと
過労死寸前の新卒1年目だったと思います。
よくやり切れたと自分でも感心します。
しかし、学んだことも多くそれが今の仕事に生かされています。
今の新卒は入社したら可愛がられて育てられますが、厳しさは少ないようにも思います。
こうなると馬力は出せませんので、営業力はつきません。
当時は、システムがしっかりしていなかったので、何をやるにも時間がかかります。そういう意味では住宅業界も本当に良い時代が来たなと思います。
こんなに働き詰めの毎日にはなりませんからね。
今の営業の仕事
これからハウスメーカーの営業を目指している人は、休みがしっかりある会社、営業力に頼らなくても家が売れる商品力がある会社を選択したほうが良いと思います。
基本的には、カウンターセールスになります。
- 飛び込み営業
- アポなし訪問
- ポスティング(建て売りや分譲地販売をしているとやる)
は注文住宅営業であればほとんどの会社がやらないでしょう。
つまり、モデルハウスに見学しに来たお客様や資料請求してくれたお客様に営業をかけていくカウンターセールスです。
間取りについては営業マンが作成することがほとんどですが、描くスキルがなくても営業所の同僚が手伝ってくれたりして商談をこなしていけば自然と描けるようになります。
大手ハウスメーカーなどの会社によっては設計士が間取りを作ってくれます。
つまり、一人当たりの業務負担は昔と比べるとかなり減っていて、営業活動に専念できるようになっています。
しかし、モデルハウスへの新規来場は時代とともに減っているため、資料請求から電話をかけてアポを取得することも増えていきますので競争も激しく本当の意味で営業力がなければ全く売れずに辞めていくことになります。
ハウスメーカーも力がある会社が残っていく時代なんだなとつくづく思います。